飛び込めよ 真ん中に
「入荷されていないみたいです。大変申し訳ございません。」
ネットで事前に予約していた「ジョーダンバットが鳴っている」の店頭入荷完了メールが届いたので受け取りに行ったのだけど、何らかの手違いで入荷されていないという。
店頭販売用の在庫を代わりに頂けたので無事手に入れることができたけれど、いや〜焦った〜!
でもなんだかこの一連の出来事に、「とっつーみ」を感じてしまって私は笑えてきてしまったよ。
家に帰るなりコンタクトレンズを外して新調した眼鏡(兄に踏まれて折れた)をかけて深夜まで読んだ。一気に読みたかった。
新規ファンの私にとって過去を遡るという作業は嫉妬や後悔の感情を呼び起こすことに等しくて、私は過去の映像作品や雑誌に中々手を出せない。「ジョーダンバットが鳴っている」もそうこうしているうちに書籍化が決まって今日初めて読むことが出来たんだけど、いやー、しんどかった!!!!!!!
心配していた「もっと早くファンになっていたら」とかいう感情はあんまり生まれなくて、それよりも、文字を読むというより見るタイプの(表現が難しいけど写真を撮るみたいに本を読む感じ)私にとって、戸塚さんの文は分かりやすすぎて、紙の上で丸裸、って感じだからその読み方がしづらかった。(つたわれー)
そういう意味でのしんどさと、もう一つは戸塚祥太に対する愛ゆえのしんどさの二つの意味で、めちゃくちゃしんどかった。
A.B.C-Zを好きになった当初から今の今まで、私は戸塚さんのことを理解しよう、理解しようと意識していた。把握したかった。それが好きの証拠だと思ってたからだ。だけどそうすればするほどとっつーは遠のいた。(意味わからんことするんだもん)
連載では、とっつーは、自分の身に降り注ぐ出来事や人から投げられた言葉を自分の好きな小説の言葉に置き換えるという作業をしている。
そうすることで自分の中に取り込もうとしたんだろうな。私も日頃からやっている行為だったので共感した。
私は普段から、A.B.C-Zを、自分の好きな曲や、好きな映画の登場人物に重ねたり、自分の知っているものの型にはめたりすることでA.B.C-Zの輪郭を掴もうとしがちなのだ。
逆に日常でショックなことや辛いことがあっても、「A.B.C-Zのメンバーだったらどうしてた?」って変換してろ過して、自分にとっては明らかに異物なのに、愛そうとしたりしていた。
戸塚さんとの類似性を感じられたことで少し私は戸塚さんを理解出来た気になって喜んだ。
でもさー、そもそも別に理解しようとしなくてもいいんだよね。
「めんどくさくてごめんね」
とっつーは昔webの連載でいってたよね。
そういうところがめんどくさいと私は思ってしまったんだけど、
その「めんどくささ」がとっつーなんだよな。
大丈夫、私とっつーは上手くろ過できないんだ。
私の中で前例が無さすぎて!当てはめる型がないのよー。だから全貌を掴めないの。
でもろ過出来なくてよかった。
そりゃろ過出来たら、きっともっととっつーを得意になれると思う。
でもろ過しちゃったらとっつーがとっつーじゃなくなっちゃう。
理解できなくても大丈夫。
だって私とっつーが大好きだから。
自分が決めたルールを全うするとっつーが大好きなんです。だから理解できなくて大丈夫だって思えるようになりました。
あー、転んじゃった
がんばれ がんばれ
そんな愛でA.B.C-Zを応援していきたいです
バイト早番なのに色々考えてたらこんな時間になってしまった。とっつーが昔「無理する時は無理してほしい」って言ったからだよ!とっつーのせい!
dolphinを目覚ましにセットして寝るとします。
乱文失礼しました。